情報は2022年2月時点。
カピオラニ公園とは
ABOUT QUEEN KAPIOLANI PARK
カピオラニ公園はオアフ島ワイキキ地区に隣接する公園です。
1877年に開園した公園で、広さはなんと約1,213,000㎡ (東京ドーム約26個分)。
公園内はダイヤモンドヘッドを目の前に臨む広い芝生やテニスコートやサッカー場をはじめ、大型イベントが開催される野外ステージの「ワイキキシェル」、フラなどのイベントが行われ気軽に見ることができる野外ステージ、そして池や遊歩道が整備されています。公園内にはホノルル動物園。ワイキキ水族館も隣接しています。
公園内はモンキーポッドや大きなバニアンツリーが各所にあり、夏には美しいシャワーツリーがまるで公園の一角を包むように咲き誇ります。
公園の名のもとになったクイーンカピオラニ像が建てられていますので探してみては?
公園内マップ
パークガイド | 憩い芝生の広場・池・遊歩道 施設ホノルル動物園 |
見どころ | カピオラニ像・ガンジー像など ダイヤモンドヘッドの景色 バニアンツリー・モンキーポッド・シャワーツリーなど ルイーズディリンガム記念噴水 |
イベント | ホノルルマラソン・ファーマーズマーケット・フラなど |
近隣施設 | ワイキキ水族館・オリンピックプール・クイーン カピオラニガーデン・ワイキキ小学校 |
敷地面積 | 約1,213,000㎡ (約121万平米) |
駐車場 | 3か所 モンサラットアベニュー沿い・カラカウアアベニュー沿い・パキアベニュー沿い |
アクセス | カラカウアベニューとカパフルアベニューに挟まれたところ。 |
所在地 | 3840 Paki Avenue, Honolulu 96815 |
地図 | |
管理 お問い合わせ | 電話:808-768-4626 |
行き方
徒歩の場合
→ 海岸線の道を歩くだけで到着します。
→ ビーチに沿って進む、またはカラカウア大通りを歩きます。
トロリーで行く場合
多くは公園のビーチ沿いに停まることが多いようです。
ピンクラインは1本ワイキキ側のホテルに停まります。そこから歩いて5分ほど。
レンタカーで行く場合
駐車場は
ワイキキ側カパフルアベニュー沿い (大きい)
ビーチ側カラカウアアベニュー沿い (道路沿い)
山側パキアベニュー沿い (小さい)
があります。
ワイキキから駐車場へ簡単な行き方
- 海岸沿いの一方通行の「カピオラニ大通り (Kapiolani Bvd,)」の真ん中車線を進みます。
- スターバックスコーヒーがあるホテルの交差点をそのまま直進します。
- すぐに、道路が二又に分かれますので、左前方方面の道「モンサラット通り (Monsalat Ave,)」を進みます。
- すぐに右車線へ車線変更します。右手にカピオラニ公園の専用駐車場入り口があります。
駐車場の注意
手前の色付きのスペースは駐車しないようにしましょう。
歩行者の少ない時間帯は利用を控えましょう。
トイレについて
トイレは公園内に4か所ほど。
・ワイキキ側駐車場前
・テニスコート横
・山側駐車場前
・山側パキアベニュー沿い
トイレはワイキキに一番近い駐車場の目の前のトイレを利用することはありましたが、人の出入りは多くありません。
カピオラニ公園はワイキキ市街地に隣接していますので、不安な方は近くの大型ホテルや人の出入りが多いビーチのトイレをおすすめします。
私はトイレは入る前にしばらく遠目から様子を見るようにしています。
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写真館
公園入口
クイーンカピオラニ (QUEEN KAPIOLANI REGIONAL PARK) のサイン。
少女の像
バンドスタンド (ステージドーム) の裏にあるフラを表現した女の子の像。いつもレイを身にまとっているのが印象的です。
シャワーツリー
6月~7月にはシャワーツリーが満開になります。プルメリアとはまた違ったかわいらしさがありますね。
バニアンツリー
ホノルル動物園前の大きなバニアンツリー。カピオラニ公園内には、バニアンツリーがいたるところで見られます。
テニスコート
テニスコートは旅行者でも無料で利用することができます。
ワイキキ水族館
公園のテニスコートの向かい側にあるワイキキ水族館。気軽に行けるのでシーライフパークとは違った楽しみ方ができます。
公園内紹介
ホノルル動物園
Honolulu Zoo
アメリカ最古と言われる動物園。42エイカー (東京ドーム約6個分)。面積は上野動物園と同じくらいです。園内には子ども向け遊具広場もあります。
池
Pond
カピオラニ公園のワイキキ側入り口から見ると左前方。バンドスタンドの裏にある浅瀬の池です。
大きなトンボの銅像や女の子の像がある池にはよくカモが泳いでいます。
この辺りなら気軽にお散歩するのもおすすめです。
バンドスタンド
Band Stand
池の近くにあるバンドスタンド (ステージドーム)。特に土日はフラなどの催し物が開催されていることもあります。
カピオラニ像
Queen Kapiolani
クイーンカピオラニ像は海の向こうを向いています。
銅像の台座に刻まれているのは「Kulia i ka nuu -STRIVE FOR THE HIGHEST- (最高のための努力)」という言葉。
カピオラニ女王は母体と乳児の保護のために、1890年に産院となるカピオラニ マタニティ ホスピタルを設立しました。現在のカピオラニメディカルセンター (ハワイ最大級の産婦人科・小児科専門病院) の原型となる医院です。
ダイヤモンドヘッド
Diamond Head
ハワイの写真でよく見かけるダイヤモンドヘッド背景の画は、テニスコート付近からの芝生まで歩いていくときれいに撮影できます。
ワイキキシェル
Waikiki Shell
貝 (シェル) のような形が印象的な8,000人を収容できる野外音楽堂です。
いわゆる大きなコンサートイベントなどが行われる屋外ステージ。東京で言えば日比谷公会堂のようなイメージです。
ここではかつてエルビスプレスリーもコンサートを行いました。日本のアーティストではBIGINもコンサートを行っています。
ルイーズ ディリンガム記念噴水
Louise Dillingham Memorial Fountain
興味のある方は公園の奥の噴水まで行ってみましょう。
この噴水もウェディング撮影などでよく使われています。
初代の噴水は日本人からの寄贈
ここに作られた噴水の初代は実は東京都の「日比谷公園」にある噴水をモチーフに作られたもの (レプリカ) と言われています。1919年大正時代に天皇の戴冠式の記念として日系人からハワイに寄与された「フェニックスの噴水」と呼ばれるものです。
当時の噴水は第二次世界大戦中の1941年に起きた真珠湾攻撃の後に壊されました。
ルイーズ ディリンガム記念噴水とは
その後も噴水が建設されましたが、1966年に都市構築において貢献したルイーズ ディリンガムを称える噴水としてディリンガム財団から寄付、改めて現在のルイーズ ディリンガム記念噴水が建設されました。
噴水だけでもこんなに歴史が継がれているのですね。
カピオラニ公園の歴史
1876年 建設のきっかけ
時は1876年 (日本では明治9年という昔)
かつて陽気な君主 (メリーモナーク) とも称されたカラカウア王 (1874~1891)がアメリカ本土で見た「人々が憩う公園」をハワイにも作りたいとに建設組織を立ち上げました。
その名は「カピオラニパーク アソシエーション (Kapiolani Park Association)」。
設立にはカラカウア王女の父アーチボルド クレッグホーン氏やジェームズ マキ―氏が中心となったので、カラカウア王の王妃「カピオラニ」の名を付けたと言われます。
建設費用
資金繰りについてはカラカウア王はもちろん、人々からのファンド (支援金や投資) によって資金が集められました。
人々には代わりに王国所有の土地など公園周辺の土地を貸すという形で契約、家を建てても良いというメリットを打ち立てました。
ワイキキがリゾート地になるきっかけにも感じられますね。
当時のワイキキは湿地帯
当時のハワイの経済の中心は今でいうダウンタウン~カリヒ周辺。
昔の移動手段は飛行機ではなく船でしたので、港を中心に栄えていました。
公園予定地は王族の保養地や養魚池もあったのですが、ワイキキ全域は現在のような姿とは全く異なり、人がほとんど定住しない湿地帯でタロイモの農作地帯でした。
憩いを目的とするには一般人には訪れることも難しく、ミュールライド (ロバや馬) などでおっちらおっちらと向かわなくてはならなかったのです。
つまり、中心市街地からワイキキ (公園建設予定地) まで道路を整備しなくてはならなかったのです。
1877年 カピオラニ公園の開園
1877年6月11日カメハメハデーにカピオラニ公園が開園しました。
現在も残るアイアンウッドの並木道をはじめ、当時は公園内に競馬場も建設されました。
開園当初は投資した人々や王族関係などしか利用ができず、競馬やポロの競技などが行われた裕福な人々の娯楽の場となっていました。
公園内にはカラカウア王が所有していた外国の鳥なども飼われていて、これが後のホノルル動物園の建設につながったとも言われます。
時は経てハワイ王国は終わりを迎えます。
1896年 運営組織が変わり名実ともに公園に
ハワイ王国が終わりを迎え、ハワイ共和国となった1896年。
運営組織が「ホノルルパーク コミッション (Honolulu Park Commission)」に変わりました。
カラカウア王が当初描いていたように、すべての市民が自由に使える公園になり、競馬場は撤去されました。
1900年代 ワイキキと公園周辺の変貌
公園内の大部分を占めていた競馬場の跡地には、多目的運動広場ができました。
敷地も拡大されました。
時代も変わり、1900年初頭には路面電車がダウンタウンとワイキキを結びました。
同時に白人たちの観光地化にもともなってリゾート化が進められたタイミングとなるワイキキ。
1901年にはモアナサーフライダーホテルが誕生します。
1904年にカピオラニ公園の前にアメリカで3番目の水族館「ワイキキ水族館」がオープン。
人々はダウンタウンだけでなく、アメリカや外国からもワイキキへと観光にやってくるようになるのです。
1914年 ホノルル動物園オープン
1914年からはホノルル市郡がカピオラニ公園の管理をすることになりました。
1914年にカピオラニ公園内に「ホノルル動物園」がオープン。(参考資料:Honolulu Zoo)
1914年日系人によりフェニックスファウンテン (噴水) が寄贈されました。
1941年真珠湾攻撃による太平洋戦争のはじまりがきっかけで、フェニックスファウンテンは取り壊されます。
1956年ワイキキシェルが登場。以前建設されていたバンドスタンドを再現したステージも完成。
カピオラニ公園の歴史は一本の道では説明できないほど、同時期にさまざまな情勢が動いています。
カピオラニ公園の歴史を知ると現在観光リゾートとして確立したハワイワイキキの原点や変貌の一過程を一気に知ることができます。
書いてあることは各資料のまとめでしかないため、細かいところはもっと突き詰めて記載するべき内容もあるかと思います。
ハワイアンパルケでは、そんなハワイの歴史の一幕に興味を持っていただくためのイメージを伝えています。もし興味を持った方はぜひいろいろな視点からハワイを見てみてはいかがでしょうか?
私個人では仕事やプライベートともに朝7時台~17時くらいまでの時間でよく訪れていた公園です。
有名な公園ですがイベントがあってもエリアによってはゆったりとしていて、プライベート感を持てる公園です。それだけ広大なのですね。