「金ピカできれいだし、見てるだけで王様って感じで、偉大さが伝わってくるよね。」
ハワイの観光ツアーでもよく訪れるこの像、なんだかわかりますか?
そう、かの昔、学生の頃~ハワイに全く興味もなかった頃、私はこの像を「ハメハメハ」と覚えていました。
だってほら、
「南の島の大王はその名も偉大なハメハメハ♪」
さらには
「みんなの元気もらったぞ、これが最後のかめはめ波~!」
そんな歌とアニメの全盛期に育った者ですから、ハメハメハが正解でかめはめ波はパロディなんというイメージで大人になりました。
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目次
ハワイにあるこの像はカメハメハ大王像

「冗談でしょ。」
ハワイ好きの方に聞いた事実を聞いて初めに放った鳥山明氏の世界観の中で放つかめはめ波含みの一言。
騙されているのかと思い、何度か確認しました。(実話)
とても恥ずかしいのですが、この話はすべて事実です。
この数年後、ハワイに住むことになり、ハワイの歴史に詳しい方と仕事をし、ハワイの歴史にどっぷりハマるとは・・・。
ハワイの英雄・カメハメハ大王。
私の中には、
うっすらなんとなく「大王」ということと、
「例の歌」のなまけイメージが、
まるでラテアートのように新しい何かを描き出している状態です。
カメハメハ像はハワイに何体あるでしょう?
カメハメハ像はハワイに3体あります。
1.オアフ島ホノルル
2.ハワイ島ヒロ
3.ハワイ島カパアウ
3体とも訪れましたので下手ですが写真で紹介しますね。
オアフ島ホノルルダウンタウン地区アリイオラニ・ハレ前
Honolulu Downtown, Oahu

ワイキキから20分程のダウンタウン地区。
ハワイ州政府の前にあり、観光ツアーでも寄ることが多く、テレビなどではワイキキのデューク カハナモクと間違えられるほど出できます。
お昼のホノルルのダウンタウンは人も多く、逆光になってしまい撮影が難しい。
ハワイ島ヒロ地区ワイロア州立公園
Hilo, Big Island

ハワイ島の観光名所にもなっている最も新しいカメハメハ大王の銅像です。
当初、1997年にカウアイ島のリゾート地に設置予定だった像は、高さが4.2m、3体の中でも最も大きな像となるものでした。
カウアイ島はカメハメハ大王の軍に直接的な制圧を受けなかった最後の大きな島です。
そこで最終的にカメハメハのゆかりの地「ハワイ島」に設置することになりました。
※これには内情的なものも含みますので諸説あります。
ハワイ島コハラ地区カパアウコハラシビックセンター前
Kapa‘au, Big Island

ハワイ島の北部。
のどかな町の中のコハラシビックセンター (Kohala Civic Center) 前にたたずむように立っているのが、実は最初に制作されたオリジナルのカメハメハ像です。
沈没事故で一度海に沈み、奇跡的に回収されたのち、彼の地元である町のこの場所に設置されました。
コハラシビックセンターはいわゆる公共施設(日本でいう役所や支所)のようなものですが、ここはこの地区の警察署なども集まった場所です。
※説ではこの銅像の裏の建物は旧コハラ裁判所だったとの話もあります。興味のある方は詰めて調査してみてくださいね。
オリジナル像を証明する看板

道路には「KAMEHAMEHA 1」「Original Statue (1880)」という文字が。
オリジナルスターテューとはオリジナル像ですよ、という意味です。
キングスビューカフェ (Kings View Cafe)

驚いたのがこのキングスビューカフェ(王を見られるカフェ)が、2025年5月まだ営業中ということ。
本当に像の目の前です。
キングスビューカフェ所在地
54-3897 Akoni Pule Hwy, Kapaau, HI 96755
カメハメハ像は世界に何体あるでしょう?
ハワイに3体だけだと思ったら、世界にも建っているのをご存じでしょうか。
4.アメリカ ワシントンD.C.
(アメリカ合衆国議会議事堂内)
5.フランス パリ
(ケ・ブランリ美術館)
+世界各国の非公式的なものやミニチュア
小さなレプリカを除けば、
現在公式で確認されているカメハメハ像は世界に全部で5体あります。
イギリスなら歴史的にわかる気がしましたが、フランスにあるのですね。
アメリカ ワシントンD.C.(アメリカ合衆国議会議事堂内)
Washington, D.C., District of Columbia, U.S.
1959年に、ハワイがアメリカの領土からハワイ州になったことを記念して作られたもの。
「ナショナル・スタチュアリー・ホール・コレクション」でハワイ州が寄贈したもの。
アメリカ合衆国議会議事堂にある、各州から寄贈された著名人の彫像の展示です。
50州の歴史の中で最も偉大な人物を称えるために、各州が寄贈した彫像を展示しています。
ハワイ州出身のオバマ氏が大統領になったことを受け、2008年以降はちょっと目立つ場所に移動したのですが、今はどうでしょうか。
フランス・パリ(ケ・ブランリ美術館収蔵)
Musée du Quai Branly, France
アメリカ以外の国で、公式に大型の像として展示されているのが、フランスのケ・ブランリ美術館です。
展示されていないこともあるそうですが、レプリカが収蔵されているとされています。
このほかにも、ミニチュアやレプリカが博物館や観光施設などにある場合がありますが、公的な大型の銅像としては以上の5体が代表的です。
先ほどもちょっと触れましたが、
実はその中の1体は「かつて海に沈んだ」というドラマチックな過去を持っているんです。
海に沈んだカメハメハ像の伝説
最初の像は海に沈没
最初に作られたカメハメハ像は、1880年にイタリアで鋳造され、ハワイに向かう途中の航路で嵐にあい、海に沈没しました。
この像は、イタリアで鋳造されたあとハワイへ船で運ばれる予定でした。
しかし、南大西洋フォークランド諸島沖で嵐により船が難破し、像は海に沈没。
2体目の像がホノルルに設置
そのあとは2体目のカメハメハ像が保険金で作られました。
これが現在ホノルルダウンタウン地区にある像です。
海に沈没した像は奇跡の発見・復活
当初最初に作られたカメハメハ像は引き揚げられました。
引き揚げられた像は修復されて、ハワイ島北部のカメハメハ大王の生誕の地「カパアウ」に設置されました。
※諸説として「もう1体沈んだまま」とされることもありますが、実際は引き上げられて無事に設置されたというのが正しい歴史のようです。
なぜイタリアで作られたの?

私、ところでなんで急にイタリア?と思いました。
これにはリノアハワイと運営を同じくする姉妹ブログ「リノアネックレス」でも触れている、イタリアの鋳造技術の品質の高さと低コストの話につながります。
ヨーロッパ、特にイタリアは彫刻と鋳造の中心地
時は19世紀後半、ヨーロッパはルネサンス以来の長い彫刻の伝統を引き継ぎ、高度なブロンズ鋳造技術を持っていました。
特にイタリアでは、その技術の高さは2025年現在でも続き、繊細なジュエリーや貴金属はイタリア製のものも多く評価されていますす。
古くからある伝統と芸術性に加え、それを実現する工具や機械も揃い、世界中から生産を依頼されるため、安く高品質なものができあがるのがイタリアでした。
信頼できる鋳造技術が可能だったため、ハワイ王国はイタリアに発注したようです。
当時のハワイ王国には銅像を鋳造する技術や施設がなかった
それ以前にカメハメハ像の製造がはじまる1880年頃のハワイ、日本では江戸時代から文明開化の明治時代への移行期。
ハワイ王国では大きな耐久性のあるブロンズ像を鋳造する設備や経験する職人が少ないため、ヨーロッパの鋳造技術に頼る必要がありました。
こうしてカメハメハ像は、「芸術性」「鋳造技術」「信頼性」を重視し、当時最も評価されていたイタリアの工房に発注されたというわけです。
作った人彫刻家は誰?制作地はどこ?
- 彫刻を担当したのはアメリカ人彫刻家トーマス・グールド(Thomas R. Gould)。
- グールドは当時イタリアのフィレンツェに滞在(在住?)していたため、イタリアで制作・鋳造されることになりました。
誰が依頼したの?
ここまでくると私個人の疑問。
「カメハメハ像を作る」ということは「カメハメハ大王を称える目的」ですよね。
いったい誰が何のために作ろうと思ったのでしょうか。
1.ハワイ王国政府
2.中心となったのは当時の内務大臣「ウォルター・マーレー・ギブソン(Walter Murray Gibson) 」です。
この像の建立を指示したのは当時のハワイ王国政府。
主導したのは、ハワイ王国の内務大臣ウォルター・マーレー・ギブソン氏です。
カメハメハ像を作る目的
カメハメハ生誕100周年に向けた、国家を挙げた記念像建立事業だったのです。
彼は、1885年に当時のホノルル警察署「ウォルター・マリー・ギブソン・ビルディング」も建設しています。
当時国の威信をかけた大プロジェクトでした。
私が10年お仕事でお世話になったウォルトディズニー氏の生誕100周年の事業を思い出しました。これなら内輪なので理解できます。
でも、19世紀に国家予算でそんなお金のかかる大プロジェクトを実行するのには何かある!絶対何かあったに違いありません。と私の疑問は深く続きます。
多くの方はこの辺で離脱してしまっても良いかなぁと思います。
「カメハメハ像はハワイに3体、世界合わせると5体もあるんだよ。」
これだけでも十分なうんちくです。
当時ハワイ王国の時代背景
カメハメハ大王像が建てられた1880年代当時のハワイ王国は、外からの影響が強まりつつあり、内政・外交ともに不安定さを増していた時期です。

1. カラカウア王の時代(在位:1874年〜1891年)
- カメハメハ像がつくられた1880年代は、「カラカウア王」の時代でした。
- 彼はハワイの伝統文化の復興に力を入れた王様で、「メリーモナーク(陽気な王)」の愛称でも知られています。

2. 西欧やアメリカとの歩みを模索
- 当時ハワイはアメリカやイギリスなど西欧の経済・政治的影響を強く受けていました。
- アメリカ移民が増え、企業が砂糖産業など経済を支配しつつありました。そこから中国などからの移民も増える経緯につながります。

3. 独立国家として模索
- 王による政治はありながらも、現実は外国資本や白人によるプランテーション経営者が強い影響力を持つようになります。
- カラカウア王は「王としての威厳」と「外国からの圧力」の板挟みになっていました。

4. カメハメハ像建立は「ハワイ王国の存在意義」の象徴
- そんな不安定な時代だったからこそ、カメハメハ像の建立は「ハワイ王国の誇りを取り戻す」ための象徴的なプロジェクトでした。
- カメハメハ大王の生誕100周年にあわせて、「統一国家の英雄」としての記憶を強調し、ハワイ王国の正当性を国民・世界にアピールする意図があったようです。

当時のハワイ王国は、伝統文化と近代化、ヨーロッパやアメリカとのせめぎ合いの中にありました。
カメハメハ像は、そうした時代の「ハワイ」としての「個」を示すために建てられたのですね。
なお、この混乱の時代に作られたリリウオカラニの歌「アロハオエ」も合わせてみると、時代背景の想像が膨らみます。
この当時は日本も明治時代のザンギリ頭のはじまり。
日本の歴史も同じような気持ちだったのか、世界の転換期ともいえる19世紀を、ハワイから日本を見てみるのも興味深いです。
何気なく見ているカメハメハ像。
その裏には、海を越えた冒険と、国を挙げた誇りが詰まっていました。
次にハワイを訪れる時は、ぜひその背景にも想いを馳せてみてください。
※画像は随時少しずつ追加します。
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